大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学生活で出会った人 ―コシウォン住人おじさん編―

留学生活の思い出の1/3はコシウォンでできました。

今日思い出しているのはコシウォンの住人のおじさん。とは言っても一人は恐らく40代で私よりずっとずっとずっと若く、もう一人は同年代かもう少し上とお見受けしました。でもまぁ、大学生に比べれば世間的にはもう大人という意味でおじさんと呼ぶことにします。

 このおじさんたちは、長年勉強を続けている司法浪人生のようでもあり、キロギアッパのようでもありました。キロギアッパというのは子どもを留学させるときに母親(つまり妻)が一緒について行ってしまい、自分は仕事のため国に残ってひたすら仕送りをするお父さんのことを言うそうです。ソウルで仕事をしながら自分の生活費を切り詰めてコシウォンで暮らす・・・私の中で勝手に物語が広がります。とにかく……そんな哀愁をおびたおじさんたち。

 コシウォンの入っているビルにはエレベーターが2台も並んでいてとても便利だったのですが、運動不足を恐れた私は7階までいつも階段を使っていました。雑居ビルでしたので整形外科のフロアでは清掃担当の人が外されたギブスを片付けていたり、複数入っていたコシウォンの各フロアではオーナーが紙と一般ごみ、リサイクルごみを分別していたり…分別しながら愚痴っているのを聞くのも面白く、生活感のある階段風景を楽しませてもらっていました。

 新学期が始まる前後はコシウォンの人の出入りと共にごみが増えて大変です。大学や駅から徒歩10分かからない立地でしたから、韓国人大学生はもちろん留学生と思しき外国人もたくさん住んでいました。自国とごみ出しのルールも違うでしょうし、元々生活感の無い人は何でも一緒に捨てちゃったりして。宅配で自分に届いた段ボール箱を開きもせず玄関ホールにボンと置きっぱなしにしたり…教えても教えても覚えた頃には住人が入れ替わるところでしょうから、コシウォン経営もなかなか大変だなとつくづく思ったのでした。

 そんな階段をとぼとぼと上がっていくと、4階あたりの小さな踊り場でよく窓に向かってタバコの煙を吐き出しているその哀愁ある背中を見かけました。同じ所に住んでいる人と知っていたので素通りするのも気が引けて、背中に向かって小さな声で「アンニョンハセヨー」と声をかけると「イェー」といっていつも会釈を返してくれました。振り向くわけでもなく。

 たとえ一言でも隠しきれない私の下手くそ発音と、その場を素通りできない習慣から絶対に外国人、どう見ても日本人とばれているはずなので、変な外国人のおばさんが住んでいるものだと思われていたことでしょう。

 ところでそのタバコのおじさんは、私が授業を終え、ランチを済ませて帰宅する3時ぐらいにたいてい階段にいるのです。普通のサラリーマンじゃなさそうです。早朝勤務? 夜勤に出かける前の一服? 飲食関係なら仕込みはもう始まってる時間だけど…それともやっぱり司法浪人?? ドラマの見過ぎだし本当に大きなお世話なのでこのくらいにしておかないといけませんが、半年ぐらい過ぎたころ階段から姿を消してしまいました。コシウォンの部屋で煙草を吸った人がいたらしく、エレベーターのドアの横の貼り紙が急にうるさくなったので、階段での喫煙も風当たりが強くなったのかもしれません。

おじさんのことを勝手に膨らませた想像と共に思い出しながらキム・エランの「ノックしない家」をもう一度読みたい気分に。状況は違うけれど韓国でコシウォン生活、一人生活を経験した今なら違う気分で作品を味わえるような気がしています。

#コシウォン生活  #ノックしない家  #キム・エラン