大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学生活の思い出 家族との別れと新しい出会い編

留学のために渡韓した日のことを今日思い出しています。

あの日からもう1年半以上。

当時はもういい加減コロナも収束だよね~とおそらく多くの人が希望も含めて思っていたころで、現地到着後7日間の隔離期間がなくなった直後でした。

  

出発した日の空港です。お店も再開しつつあるけれど電気代節約ですか?というほどの薄暗さ。既に空いている向こう側のカウンターも手続きしている人はまばらで、よほど行かなければならない仕事でもない限りこの時期に空港には来ないよね、という空気はまだ漂っていました。旅行とか留学というのは本当に贅沢なこと、人生の+αなんだなぁと思ったのでした。

平日だったというのもありますがフードコートの席取りなど全く必要なく、窓側のいい席に座り放題。見送りに来てくれた夫はおいしそうにたこ焼きを頬張っていました。一年間会えませんが、まあ30年以上一緒にいるんだし大丈夫でしょうとお互い思っていたと思います。40代で初めて一週間の韓国超短期留学&ホームステイをした時の方が私も気合いが入っていたし感動的だったような…。あれから約10年。子育て後の私の留学計画がとうとう実現するという期待だけで私はお腹がいっぱいでした。

私のような年齢で一人留学に来たということを知ると、韓国では私より配偶者を褒める人が圧倒的に多かったものです。韓国ではそれは無理だよ、と。理由を聞くと、

妻が浮気するんじゃないかと思うわよ、だから韓国の男の人は許さないよとか、ご飯とか困るでしょ?等々。だからそれを許したあなたの夫は偉い!(むしろ信じられない)と年上の女性に面と向かって言われたこともあります。

当時は、何で? 頑張ってるのは私なんですけど? とずっと思っていましたが、帰国してからまた家族との暮らしが始まってみて分かったことがあります。留守番していた夫や息子も、自分の事を自分でするのは当たり前のことながら、変化した暮らしに対応してくれていたんだなぁと。

だから帰国してから息子が、お母さんはおかず色々作れてすごいな、いないときはいつも同じものばかり作って食べてた、お父さんもいつも作るの焼うどんばっかり…と言われたときはちょっとほっこりしました。これまで一度も参加したことのない町内の草刈りにもよく聞けば息子と夫が交代で出てくれたそうです。その後息子は会社でお弁当箱を洗ってくるようになり、朝ご飯はご飯とみそ汁しかなくても、ありがとう、いただきますとご丁寧に言ってくれたりするのでちょっと気持ち悪いくらいです。

そんな家族の協力に当時は気づきもしないまま、私は家事全般から解放されて韓国ライフを楽しんでいました。到着の翌日には東大門区の保健所でコロナの検査を受けるようにと言われていたので早速出かけて行ったものの表示がとてもわかりにくく、同じように迷っている日本人留学生2名と知り合う展開に。その内一人とは今でもオンラインで一緒に韓国語の勉強を続けています。大学の交換留学で来たというもう一人の子とは、検査後に一緒にマートの片隅でコーヒーを飲んで情報交換をしたりして・・・娘のような年齢の子と、コンセントの変換プラグはどこで買ったらいいのかとか、語学堂の授業はまだオンライン? なんていう話を時間も気にせずゆっくりできて早速楽しかったのを思い出しています。

あーそろそろまた行きたくなってきました。

 

#留学生活の思い出  #家族の愛