大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学生活で出会った韓国語 ーご飯食べた?ー

韓国語に「ご飯食べた?」という挨拶があります。

皆がひもじかった時代に相手がお腹をすかせていないかを思って尋ねた名残だという説を聞いたことがありますが、その言葉はコシウォンでよくかけてもらいました。同じ建物内に住んでいる社長夫妻や、私と同年代のおじさん住人も、「ご飯食べたの?」「(いまから)食事ですか?」と。なんてやさしい響きの言葉なんだろうと思ったものです。

日本にいるときは家族の食事を常に心配するのが私の仕事みたいなものでしたが、外国でひとり暮らしてみると私がご飯を食べたかどうかなんて誰も心配してくれませんから。

今では単なる挨拶の言葉となっていて、本当に食事したかどうかを知りたいわけではないという話も聞いていましたが、加減がよくわからない私はよくまともに返事をしていました。それでなのかどうかわかりませんが社長夫妻にはあれこれ食べるものをいただいたものでした。

共用の台所にコーヒー用のお湯を汲みに行くと、「〇〇、あげようか?」といって、おすそ分けとはいいがたい量の食べ物を差し出してくれるのです。両手に持たされた食料を見つめながら『応答せよ1988』の冒頭のおかず合戦は本当だったな、と心の中でにんまりもしたものです。

故郷の江原道で親戚が作っているというジャガイモやトウモロコシをふかふかにふかしたもの、社長が漬けた白菜や小さい大根のキムチ、大きな白菜の葉を丸ごと衣につけてフライパンからはみ出しながら焼いたジョンに、栄養ドリンクまで。

    

もちろん私一人がいただいていたのではないと思いますが、2フロアで50室以上あるコシウォンの住人全員に配っていたらご自分たちの食べ物がなくなってしまうでしょうから、特別によくしていただいていたように感じていました。

社長さんは私より少しだけ年上のオンニでしたが、そこに住んでいる間私は学生気分でしたから、お母さんみたい、こういうのを情というのかなぁと。

チョコパイの「情」の字を見るたびオンニの顔が浮かびます。お陰で心もお腹もひもじくなることなく過ごしました。お世話になりました。