大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学生活を支えてくれたもの ー電熱マットー

春はもうそこまで来ているでしょうに、冷たい強風と乾いた空気。田舎の木造一軒家、北向きの寝室は冷えきった四角い木箱と化しています。この頃布団に入るとき思い出すのは、コシウォンで使っていた電熱マット。

ホットカーペットの電熱入りの部分だけ、表面はクッションフロアのようなビニル系、小さなベッドよりもさらに一回り小さいサイズのものでした。

住んでいたコシウォンにはオンドル(韓国式床暖房。温突)のスイッチと思しきものが部屋についていました。夏に渡韓した私は、冬になったらこれをつけるぞ!と。何度か韓屋に泊ったことはありましたが、考えてみれば韓国旅行はいつも夏。床暖房のおうちにも住んだことのない私は、このスイッチをオンにするのを密かな楽しみにしていたのです。

ところが冬になってそのスイッチを触ってみても、クッションフロアの床には何の変化もありません。節約家のオーナーが元を切っているのかと思って、思い切って尋ねてみました。少し前に、留守かと思ってボイラーを元で切られ、水浴びするはめになったことがあったからです。

「オンドルはいつごろ入るんですかねぇ?」と聞く私に「お! お~~お~~」と言って後が続きません。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと反省していると、「あとで持っていくから」とちょっと意味の分からないお返事。それ以上追求する勇気はなく、その「あとで」を待っていると、社長であるオンニがオイルヒーターと折りたたまれたマットのようなものを持って部屋の前に立っています。これ使っていいから、と。「オンドルは……?」と小さな声で聞いてみても、修繕係のアジョシ(ご主人)がいま田舎に行っているから、なんとか、かんとか△×*#$%??? あとはもう早口で聞き取れません。

どうやら私の部屋だけオンドルが故障しているということのようでした。残念!

しかし、寝るときに敷布団代わりのキルティングの下に電熱マットを敷いてみると、こりゃまぁなんと暖かい! 人生でこんなに直接的にガンガン暖かい布団は初めてです。大満足。

子どもの頃は雪の降るところに住んでいましたが、使うのはせいぜい湯たんぽで、足元の方がふんわり暖かいとか、マイヤー毛布の手触りが暖かいとか、とにかく布団というのはほわっとあたたかいものでした。祖母は昭和のキューブ型の木製電気アンカを使っていましたが、子どもにはそこまで必要ありませんでしたし。

ところがこの電気マットは一晩中、直接、背中を、温めてくれるのです。最弱でタイマーをつけておいても、朝には全身の皮膚が乾ききっている感じは否めませんでしたが、暖かさから感じられる幸福感には勝てませんでした。世の中にこんなものがあったなんて。外は-15度まで体験しましたが、寝るときに寒いと思ったことはお陰で一度もありませんでした。

語学堂5級の授業で韓国の伝統住宅のオンドルの仕組みを習った時、先生が「背中をジリジリと焼くようにあたためる」ものだと、両手を広げ天井を仰ぎながらおっしゃったのを思い出しました。韓屋に泊ったとき敷布団の薄さに驚いたこと、イ・ソジンの「三食ご飯」でオンドル床の一番暖かいところに寝かせてもらった俳優たちが、熱すぎてやけどするかと思ったと言っていたこと、そういうことがみんな繋がりました。そして、背中を焼くオンドル発想の現代版がこの電熱マットなんだなぁと。

その後の慶州旅行で韓屋の本格オンドルをついに体験し、悔いなく帰国してきたオンドルと電熱マットの思い出です。

 

#オンドル  #大人の韓国旅行  #留学生活