大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学生活の思い出 ー結婚式 後日談編ー

日本への新婚旅行から帰国した新婚ご夫婦にお会いする機会がありました。

鮨が美味しかったとか、喫茶店でドリップコーヒーを大切なものみたいに少しだけ味わう文化に感動したとか、コンビニのお菓子のパッケージがかわいくてたまらないとか、しかもどれも安くておいしいんだとか、食べる物や物価の話で盛り上がりました。

話のついでに、結婚のご祝儀を私が日本円でお持ちしたのが失礼ではなかったか、日本に行くって聞いてたからそうしてみたんだけど、もしかしてもしかして何か気を悪くされてたらごめんなさいね、と伝えました。あれだけの豪華な結婚式ならご両親の資金援助やご意向も相当入っていたでしょうから、お祝い金が「円」で出てきたら、これなんだよ?と、会計的に面倒なことになったんじゃないだろうかと、心配性の私は少々ですが心配していたのです。すると根っから明るい性格の新婦からこんな返事が返ってきました。

「そんなこと、ないない。円、잘 썼어요(チャル ソッソヨ).ドン・キホーテでね。たくさん買えたよ!」

驚きました。このチャル ソッソヨは直訳すると「よく使いました」。この言葉、こういう風に使うのかと感動した瞬間でした。

例えばご馳走してもらったときに、「ごちそうさま」とか「ありがとう」とかあんまり韓国語では言わないという話は、毎週欠かさず聞いている「ニュースで韓国語」というポッドキャストで聞いたことがあったのですがあれは本当だったなと裏付けできた気分だったのです。

だからと言って感謝してないとか、礼儀が足りないとかそういうことではなくて、例えばテイクアウトのコーヒーなら、買ってもらったときに「(これから)よく飲みますね」(直訳。おそらく、おいしく飲みますねというニュアンス)と言うんだと。それが、ありがとうの意味なのだと。なるほど、こういうことだったのね。

日本人はどんな些細なことにも「ありがとう、カムサムニダ、コマウォヨ」とばかり言ってるねと言われたこともあります。大したことじゃないのに、何をそんなに大袈裟なという感じです。私にとっては本当にありがたいことだったのですが、「ありがとうなんて……そんな」と。返って水臭いじゃないのという感じです。

文法や単語を学んだり覚えたりすることは日本にいていくらでもできる時代です。私が勉強を始めた10年ほど前に比べると学習教材の豊富さは比べ物になりませんし、オンラインで手軽に学べる機会が本当に増えました。そのおかげで地方暮らしの私も仕事や子育てをしながらでも、たくさんの先生や仲間にお世話になりながら韓国語を学び続けてくることができたのです。感謝しています。ただ本当に現地に出かけて行き、人と出会って、経験してこそわかることもあるんだな、相当無理して韓国まで来てよかったなと思った思い出です。 おかげさまで잘 배웠어요!

#留学生活の思い出 #ニュースで韓国語  #잘 썼어요

留学生活の思い出 ―結婚式当日編―

結婚披露宴会場は江北から漢江を渡り、汝矣島を通り抜けてしばらく走ったあたりの結婚式場でした。式場のあるホテルだったのかもしれません。共通の知り合いが私たち留学生を車に乗せて行ってくださったのでよくわからないまま・・・・・・。

エレベーターのドアが開くと、とにかくなんだか天井が高くて華やか! バブルの余韻が残っていた日本で、友人の結婚式に無理して着飾って出かけた頃を一気に思い出しました。近頃はもうさすがに友人の結婚式というのもなく、姪や甥たちは式を挙げない派が多く、一番最近出たのは若い同僚のレストランウエディング。素朴な時代になったものです。こんな時代が性に合っていて田舎暮らしの私は、青空と博物館以外でこんな高い天井は久しぶりに見たなと思ったのでした。

広いエントランスホールには数人ずつのグループがたくさんできていて、始まるまでの談笑中。そこを新郎と新郎新婦の両親が挨拶に回って写真を撮ったりしていています。片隅には受付があり、その隅には何かの白い山が。ご祝儀用の封筒です。前日の夜、コシウォンの近くのダイソーで「祝結婚」と印刷されたシンプルな封筒を、これでいいのかなぁと不安になりながら準備していった私は、これには本当に驚きました。実に合理的です。

わたしが結婚した時には、鶴や亀の形に細工された金の水引がついている、分厚い和紙で折られたA4サイズぐらいの祝儀袋を親戚からもらったのを懐かしく思い出します。あ~私の思い出は古き良き昭和の香り(既に平成でしたが)。

その後、私たちも美しい韓服姿のご両親や新郎と写真を撮らせてもらったり、ウエディングドレスの準備ができた花嫁の、これもまた驚きの広さの控室に入らせてもらい、ご挨拶したり一緒に写真を撮らせてもらったりしました。

その後なだれ込むように披露宴会場に入ると、なんと、まさにドラマで何度も見たランウェイつきの会場。その両側には丸テーブルが10以上は並んでいたと思います。席は決まっておらず座れ座れと言われて私は空いている席に腰掛けたのですが、参列者が全員入ると席は全く足りず、立ち見の人が壁際と言わず席と席の間にもたくさんいたのです。座れた人がラッキーぐらいのイメージです。いったいどれだけ招待状を配ったのか、みんな友達を連れてきちゃったのか、こういうものなのかは不明ですが、本当に小学校の学芸会のような賑やかさでした。

心配していた服装ですが、大人の皆さんは洗練された大人のお出かけ着から子どもの入学式ぐらいのイメージで、女性は、色は抑え目だけど華やかな感じのスーツが多かったように思います。男性は若い人はスーツにネクタイ、私くらいの年代の方たちはおしゃれなジャケットスタイルも多く見かけました。完全に昭和の田舎者の私は、ソウルの人たちはあか抜けてるなぁと率直に思ったのでした。

華やかなアクセサリーをじゃらじゃらとか、朝美容院に行ってアップにしてきましたとか、パーティドレスとかそういう感じの人はいませんでしたから地味な留学生組もまぁ、恥ずかしいほどではなくて、外国人として空気が読めていないだけだったかもしれませんが、とにかくそんなに気後れせずにすみました。お陰様で。                                              

つづく

 

#韓国の結婚式 #留学生活の思い出



 

留学生活の思い出 ー結婚式準備編ー

人生で結婚式には何度も参加してきましたが、韓国でもその機会に恵まれました。

偶然知り合った同年代の韓国人ご夫婦の後輩にあたる方が結婚されることになり、私も少々面識はあったのでせっかくだから一緒に来てと招待状をいただいたのです。ご自身も留学の経験があり、「外国で結婚式に出るのもいい経験でしょう」と。それは本当にその通りで、観光地と違って行きたくて勝手に行けるところではありませんから、そのお気持ち、本当にありがたかったです。

それにしても、その程度の知り合いで招待状がもらえるなんて、結婚式出席のハードルが低いと言うのは本当でした。

それ以外にも韓国の結婚式について私が本やインターネットなどで聞きかじっていたのはこんなことでした。

まず、結婚披露宴自体は短めで、後でビュッフェ形式の食事が出る。招待されていない友人を連れて行ったりしても構わない。服装は日本ほど張り切らなくていい。ご祝儀は日本より少なめで、水引の付いた分厚い封筒は使わない……。

ただ、確証の無い情報で失礼なことをしてしまうのではないかが心配でもありました。生活していれば肌間隔で掴むようなこの国の社会常識みたいなものはまだまだ持ち合わせていませんし、長い付き合いでもありませんから、どの程度の規模の式を挙げられるご夫婦というかお家柄というべきか、そういうこともいま一つ掴めません。聞けませんし。

特に悩んだのはお祝いの金額と服装。検索したり、聞ける範囲で共通の知人にこっそり尋ねたりして最終的にこう決めました。お祝いは一万円。服装は手持ちの一番きれいめの服で。

まず金額については、親しい間柄ではないにしろ多くても少なくても失礼になる気がして本当に悩みました。今考えれば、多いのは全く問題なかったかもしれません。ただのケチでしたね。韓国でも以前は数万ウォン程度が相場と言われたけれど、今の物価高や結婚式の考え方の変化などで十万ウォンぐらいが基本ラインという話を聞きました。自分の年齢も考えて気持ち的には若い人に奮発したいところですが、私も節約留学生ですし、無理する必要もない気もします。悩んだ末に手元にピン札で残っていた日本円、一万円札を一枚包んでいきました。なんとなくピン札じゃないと自分が許せなかったのと、新婚旅行は日本と聞いていたからです。

服装については本当に学校に通うだけの普段着しか持っていなかったのでこのために買うかどうか迷いましたが、こちらも無理をするのをやめました。語学堂の卒業式用に買っていたシンプルなセーターとスカート。卒業式は学校から借りるガウンを着ることがわかっていたので、卒業式用と言っても本当に地味なのですが、日本から持ってきたお気に入りのストールをぐるぐる首に巻いて若干の華やかさを出そうと努力はしました。まぁどっちにしてもおばさんだからこんなもんでしょうと思いながら。

                                    つづく

 

#韓国の結婚式

留学生活で出会ったもの  ー絵本『한밤의 선물』ー

渡韓して1週間の自主的自宅待機期間が明けるとすぐ、江南のcoexで開かれるというソウル国際ブックフェアに出かけて行きました。

子どもの頃からものすごい読書家でした!とは決して言えないのですが、図書館はなぜか好きでした。静かで気温が安定していて、ずっといていいという安心感……。夢は図書館に住むこと。ですから本を探しにというより、本に囲まれる雰囲気を楽しみに一人ふらっと出かけて行ったのです。

 

出版社のブースがたくさんあって、韓国だけでなく海外書籍の販売から表紙のイラストや派手な印刷加工の技術紹介、韓紙の体験や作家のトーク&サイン会まで多様なイベントが満載で、自前のコンテナキャリーをゴロゴロ引いて山ほど本を買っている人たちが行き来しています。

 

 

図書館好きなだけあって「この本私のものにしたい」という欲はあまりないですし、販売ブースの人たちも特に売る気なさそうな感じが韓国っぽいなぁと思いながら見物に徹していたのですが、突然私を呼びとめる声が。

 

絵本専門のポムポム出版社さんでした。

本への愛情を感じる担当者さんのお話を聞きながらぺらぺらとめくってみると……出会ってしまいました。こんなの見たことないという繊細な韓紙の絵本。子育てや読み聞かせ活動でこの30年たくさんの絵本に触れてきましたが、ここまで繊細なのは見たことがありません。質感や風合いは和紙とも似ていますが、この本では色遣いがエキゾチックで、とにかく類を見ない美しさにまさに心奪われます。

こんなの読んで育ったら、心のきれいなやさしい子どもに育つに決まってる、そう思える絵本なのです。

そうしてここで2冊の絵本を買い、しばらくしてK-BOOK振興会の「日本語で読みたい韓国の本」レジュメメンバーに送られる次月のレジュメリストに、なんとこの絵本が入っているのを見つけたときの驚きをどう表現すればいいでしょうか。PCの画面に向かって、「えっ? 私、私!(それ書きます)」と言っていたと思います。 

https://k-book.org/yomitai/220912/

「ほかの国では翻訳されてるけれど、日本ではまだなんだよ」と担当の方はおっしゃっていましたが、これは2022年のブックフェアの時の話。版権はもう売れてしまったでしょうか。

子どもと大人がいっしょに味わえるこんな絵本を翻訳する人になりたいなぁと思ったブックフェアの思い出です。

 

#日本語で読みたい韓国の本 #ソウル国際ブックフェア #한밤의 선물

 

留学生活を支えてくれたもの ー電熱マットー

春はもうそこまで来ているでしょうに、冷たい強風と乾いた空気。田舎の木造一軒家、北向きの寝室は冷えきった四角い木箱と化しています。この頃布団に入るとき思い出すのは、コシウォンで使っていた電熱マット。

ホットカーペットの電熱入りの部分だけ、表面はクッションフロアのようなビニル系、小さなベッドよりもさらに一回り小さいサイズのものでした。

住んでいたコシウォンにはオンドル(韓国式床暖房。温突)のスイッチと思しきものが部屋についていました。夏に渡韓した私は、冬になったらこれをつけるぞ!と。何度か韓屋に泊ったことはありましたが、考えてみれば韓国旅行はいつも夏。床暖房のおうちにも住んだことのない私は、このスイッチをオンにするのを密かな楽しみにしていたのです。

ところが冬になってそのスイッチを触ってみても、クッションフロアの床には何の変化もありません。節約家のオーナーが元を切っているのかと思って、思い切って尋ねてみました。少し前に、留守かと思ってボイラーを元で切られ、水浴びするはめになったことがあったからです。

「オンドルはいつごろ入るんですかねぇ?」と聞く私に「お! お~~お~~」と言って後が続きません。聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと反省していると、「あとで持っていくから」とちょっと意味の分からないお返事。それ以上追求する勇気はなく、その「あとで」を待っていると、社長であるオンニがオイルヒーターと折りたたまれたマットのようなものを持って部屋の前に立っています。これ使っていいから、と。「オンドルは……?」と小さな声で聞いてみても、修繕係のアジョシ(ご主人)がいま田舎に行っているから、なんとか、かんとか△×*#$%??? あとはもう早口で聞き取れません。

どうやら私の部屋だけオンドルが故障しているということのようでした。残念!

しかし、寝るときに敷布団代わりのキルティングの下に電熱マットを敷いてみると、こりゃまぁなんと暖かい! 人生でこんなに直接的にガンガン暖かい布団は初めてです。大満足。

子どもの頃は雪の降るところに住んでいましたが、使うのはせいぜい湯たんぽで、足元の方がふんわり暖かいとか、マイヤー毛布の手触りが暖かいとか、とにかく布団というのはほわっとあたたかいものでした。祖母は昭和のキューブ型の木製電気アンカを使っていましたが、子どもにはそこまで必要ありませんでしたし。

ところがこの電気マットは一晩中、直接、背中を、温めてくれるのです。最弱でタイマーをつけておいても、朝には全身の皮膚が乾ききっている感じは否めませんでしたが、暖かさから感じられる幸福感には勝てませんでした。世の中にこんなものがあったなんて。外は-15度まで体験しましたが、寝るときに寒いと思ったことはお陰で一度もありませんでした。

語学堂5級の授業で韓国の伝統住宅のオンドルの仕組みを習った時、先生が「背中をジリジリと焼くようにあたためる」ものだと、両手を広げ天井を仰ぎながらおっしゃったのを思い出しました。韓屋に泊ったとき敷布団の薄さに驚いたこと、イ・ソジンの「三食ご飯」でオンドル床の一番暖かいところに寝かせてもらった俳優たちが、熱すぎてやけどするかと思ったと言っていたこと、そういうことがみんな繋がりました。そして、背中を焼くオンドル発想の現代版がこの電熱マットなんだなぁと。

その後の慶州旅行で韓屋の本格オンドルをついに体験し、悔いなく帰国してきたオンドルと電熱マットの思い出です。

 

#オンドル  #大人の韓国旅行  #留学生活

留学生活で出会った食べ物 ―ホットク編―

一年住んでみて一番おいしかった食べ物は? と聞かれれば、迷わずホットクと答えます。南大門市場の野菜ホットク。

初めて食べたのは真夏、たしか語学堂の5級の修了式を終えて6級が始まるまでの休みの期間、大した目的もなくふらっと出かけた日でした。実は休みに入る前、20代前半のクラスメイトが「週末に南大門に行ってみたけど全然面白くなかった~」と話しているのを聞いていました。訳を聞いてみると、普通の物ばっかり売っていたというのです。普通の物? 生活用品? 大学生がつまらないならおばさんには面白いのかも、と行き先決定。

 地下鉄をソウル駅で降りて北に少し歩くと崇礼門(通称南大門)が目に入ります。都心の大きな道路の真ん中にドカンとこういう歴史的な建造物が現れるところがソウルの魅力です。

  

表側と裏側、それに私の好きな天井画を写真に収め、人波に乗って東の方に流れていくとそこが南大門市場の入り口。早速かなりの行列が目に入りました。何かと思ってのぞいてみるとこの暑いのにたっぷりの油でホットクをジュージュー焼いているのが目に入りました。

計画はとくにありませんでしたから、まずは長い列の最後尾に並び、それから検索。コネストさんの記事によれば、どうやらかなりの有名店。しかも野菜ホットクが人気とか。

いやいや、ホットクといえばシナモンと黒砂糖の香りと甘さがたまらない甘々おやつ。初めてソウルに行った時、狎鴎亭の語学学校の近くで食べた500ウォンのペラペラ、カリカリの素朴なホットクに感動した覚えがあります。その味が忘れられず、日本でもよく材料キットを買って作っていたほどです。

行列の先を鋭い視線で見つめ、耳を皿のようにして聞いてみました。若いカップル、おじさん、日傘をさしたおばあちゃんと孫たち……地元民の方たちが結構な確率で「野菜(ヤチェ)」と注文しているが聞こえてきます。そうか、この店はやっぱり野菜なんだ、ここでしか食べられないなら……と悩んだ末に野菜ホットクを一つ注文。二つ食べられる大きさではなかったのが残念です。

野菜ホットクといっても中身は野菜たっぷりのチャプチェ。小さな屋台の前に色とりどりのパプリカをはじめ色々な野菜の入ったソース鍋が置いてあり、焼きあがったホットクにそれをかけて客に渡しています。いかにも秘伝のたれっぽいのですが、パプリカって赤や黄色できれいだけど、そんなに味が出るんだったかなとその時は疑心暗鬼でした。選択、間違えたかも。

目の前で焼きあがったばかりの熱々の野菜チャプチェホットクを受け取ると、食べられる場所を探して市場の路地へ。日本でなら絶対にやりませんし、できませんが旅人は怖いものなし。おばさん一人、道端で立ったまま私の手を広げたくらいの大きさのホットクにかじりつきました。これかー。なるほど確かにこれは納得のおいしさです。

チャプチェの味が濃いのですが、塩辛くもなく、ソース辛くもなく、甘すぎもせず、野菜の旨味がしみ込んでいる感じ。ドラマで見る料理上手なお母さんみたいに、透明なビニール手袋をはめた手でチャプチェを揉みこんでいる姿が浮かびます。プリプリのこのチャプチェのゆで加減は私の作るえせチャプチェとは全然違う代物。

その後日本からお友達がソウル旅行に来たときは、逆ルートでまずここに並んで野菜チャプチェを買ってから、ソウル駅にお迎えに行ったほどです。みんなに大好評でしたからおばさんたちの口にはまず合うこと間違いなしの野菜チャプチェの熱くて暑い思い出です。

 

#野菜チャプチェ  #南大門市場  #大人の韓国留学

 

留学生活で出会った食べ物 ―テグタン編―

今日みたいに寒い日に、あれ食べたい!と思い出すのがテグタン、タラ鍋です。

そもそもテグタンという食べ物を私は全く知らなかったのですが、留学、韓国生活経験のある先輩方に「絶対食べて! 三角地で」と教わったのがきっかけで、1号線と4号線を乗り継いで30分はかかるその地までタラを食べるためだけに何度も出かけていくことになるのでした。

三角地はW型に曲がった漢江の左側のVのまん中あたり。明洞から4号線で南に向かって国立中央博物館に行く途中にあります。三角地駅を出て通りを渡りNAVER地図を頼りに少し行くと、ど派手な看板の連なるタラ鍋通りというのがすぐ見つかります。いったいどこからどこまでがそのタラ鍋通りなのか実は今でもよくわかっていませんが、似たようなサイズの食堂が並んでいるその辺りで細い路地に恐る恐る入っていき、地元の人が多そうなお店を選びます。

観光地でどんな行列ができていても、味とコスパの補償はないというのが1年住んで学んだこと。特に若い人が楽しそうに列を作っている店は怪しむほかありません。何度がっかりしたことでしょう。写真映え不要、材料費と料理の手間の目処が立つおっかさんの舌と財布を満足させるのは易くありません。

車両が入れないほどのまさに裏路地でいくつか店を覗いてみると、いかにもこの近所のおじさん、おばさんみたいな私の同年代たちが日常着のカラフルな登山服でテーブルを囲んでいる姿が目に入ります。ここにしよう。

メニューはタラ鍋一択。辛さや白子を入れるかなどを早口で聞かれ、飲み物をグラスにあける間もないくらいあっという間にテーブルのガスコンロに出される鍋には野菜が山盛り。ミナリ(セリ)です。

ハングルさえ読めなかった頃にポッドキャストで聞いていた古家さんと八木アナの番組で、「ミナリが新鮮ですね」という会話が出てきたのをそのときに思い出しました。鍋料理にたっぷり入ったミナリの香りや食感をいかにもおいしそうに伝える八木アナの説明に、いつか本場で食べてみたいと思っていたのでした。あれから10年。

どんな味かと言われても、とにかくミナリがしゃきしゃきしていくらでも入る、辛さを押さえてもらえばそんなにヒーヒー言わずにスープまでいける、さらに辛子で味変しながら〆の焼き飯まで飽きることなく食べ尽くせる真っ赤な鍋料理、これが私にとってのテグタン。

そして何より申し訳ないくらい手ごろな価格と、「この人は日本に住んでたことあるのよ、ねぇそうでしょう? 大阪だっけ?」とだれが店の人なのか客なのかわからない状態で地元のみなさんの会話に入れてくれる親しみやすさ。

ヨン様世代の私たちがもともと韓国旅行に求めていた懐かしさみたいなものを満喫したテグタンの思い出です。

 

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