お腹を満たしてくれたのは伝統市場でしたが、心と脚を鍛え、慰めてくれたのはペボン山という小さな山でした。
慰めると言っても腹の立つこととか、寂しくて泣きそうだったという記憶はほとんどないのですが、ペボン山はただいつもそこにあって私を黙って受け入れてくれていました。
家事をしないでいいということは体を動かすことがなくなるんだと渡韓してすぐ悟りました。座ってばかりいたら関節が固まってしまうと膝をぐるぐる回しながら考えてみました。そうして生活科の町探検気分で始めた町中ウォーキングは、楽しくてたまりませんでしたが間もなく挫折。歩道を歩いているのに危険、だからです。
まず、歩道があちこちガタガタしている。これは脚力も視力も怪しくなりはじめている私には命取り。常に足元を見ていては町探検にもなりません。
次に学生街の狭い歩道をタルンイ(シェアサイクル)や電動キックボードがぶっ飛ばしていきます。若い人を中心に若くない人も乗っていましたが、交通ルールは知らないのかなという疑問と、その人がこのガタガタ道で転ぶのではないかという変な親心のような不安で何も考えられなくなります。そう、私は結構心配性なのでした。
そして、車に轢かれそうになります。右側通行の道路に、信号とは無関係に右折できるレーンがよく設置されているのですが、横断歩道に歩行者が何人もいても、車両は突っ込んできます。店舗の前の歩道兼駐車場に止めようと車が歩道をいきなり横切ります。私のお腹の前をギリギリ通り過ぎた車を睨みつけながら、日本と逆なのは左右だけじゃないんだなと理解し、自分の身は自分で守ろうという結論を出しました。
もうひとつ、道のあちこちにストローのささったテイクアウト用の紙のカップが置いてあって気分が悪いというのもありました。飲みきれなかったアイスアメリカーノの、氷も溶け切ってないのを見るたびに、授業で廃プラ問題とか地球温暖化とか必死で調べて討論したり、主婦として持続可能な生活を追求して生きてきたことが無意味に思えたものです。これが現実と受け止めて、地球については別途考え直すしかありませんが、とにかく毎日、目にしたくはありませんでした。全く、私は田舎のネズミです。
そういうわけで、楽しい町探検は必要に応じて時々実施ということにして、田舎のねずみは安全で快適な自然を求めてネイバー地図とにらめっこ。ついに見つけたのがペボン山という細長い形をした山の散歩道だったのです。
この件について学校の先生に一度話してみたことがあります。ソウルの道は危ないですね、と。先生は、そうかしら?と。そこで、先生、道なんか歩かないですよね、高級アパートの駐車場を出たら、目的地まで歩くことはないでしょう? この庶民的な街を一時間歩いてみてください、気を張ってないと命を守るのは結構大変ですよ、ごみも多いし。と知ってるだけの韓国語で、あて先不明の怒りのようなものをぶつけてしまいました。
どんな反応だったか記憶もありません。先生、ごめんなさい。後進国に来たわけでもないのに道がこんなに危ないなんて、なんだかすごく残念な気持ちだったんですよ。
つづく
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