大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

留学準備―長期戦編―

オンラインでの面接の前に、仕事をやめることは既に決意していました。子どもたちも成人していて留学費用は200万ほど準備することができました。

もうひとつ、子どもが幼いころから食育には力を入れていました。自立した人間に育ってほしいという私なりの教育方針の一環だったのですが、今思えば、これが最大の留学準備になったようです。

自分が食べたいものは自分で作れる人間に育ってくれました。いいえ、育てましたよ、と胸を張って言いたい。それから掃除はホコリで死なない程度に、洗濯機もちゃんと使えて、必要ならアイロンもかける。ありがたいことに夫もそういうことが必要十分な程度にできるし、たとえシャツが多少くしゃくしゃでも気にしない適当さも持ち合わせてくれていました。突き詰めれば、朝、自力で起きてご飯を食べて仕事に行く。そういう当たり前のことが当たり前にできる家族だったからこそ、妻と母を一年もお休みできたのだろうと思います。数年前から家じゅうの断捨離を決行し、必要なところはリフォームして物を探さなくていいおうちを作っておいたことも、口では老後の準備と言いながら、本当は私なりの留学準備でした。

そういえば語学堂でお世話になった30、40代の女性の先生方からよく聞いた言葉が二つあります。

「私もあなたのようにいつか海外でもう一度勉強したいとずっと考えているのよ」

そして、もう一つは「送り出してくれたご主人が立派」。私じゃなくて夫か・・・といつも考え込んでしまう言葉でした。韓国ではそうはいかない、というため息まじりのセリフも定型文のように添えられていたのです。

旅立つ費用と残していく家族のこと。

この二つをこつこつと時間をかけて準備してきて入れる学校まで決まれば、あとは行くだけ。これまでの結構長い人生の紆余曲折から考えれば、そんな感じでした。

ただ、韓国国内にあるたくさんの語学堂から一校を選ぶまで、いや、そういえば半年ずつ二校行けないものか?とかなり真剣に考えていたこともありました。留学のことなんて何も知らずにのんきに夢を膨らませていた頃、新しいことを知るたびに驚いたり、喜んだり。それが多少がっかりするようなことでも毎日わくわくしていました。私の第三の人生の扉がはっきりと視界に入ってきたような・・・とにかく、その扉を開けてくれる学校選びこそ、満足な留学生活のための最重要ポイントだったと今振り返ってもそう思います。

 

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