大人の韓国留学 50を過ぎた私の留学の旅思い出日記

50代で1年間韓国の大学の語学堂に語学留学しました。帰国してしばらく経ちますがあの時の気持ちを残しておきたくて書いている思い出日記です。

授業の思い出 ー討論 その2ー

討論の授業で怖かったのは司会役を務めることでした。これは本当に無理。

司会は一方の立場の意見を聞いて受け止め、反対意見を求めては議論をまとめていくのが役目です。日本語でならできるでしょう。特に仕事なら内容は業務に関することですし、問題点や発話者の立場もおおよそわかっていますから様々な意見が出てもまとめるのはそんなに難しいことではありません。

ただ語学堂ではお互い外国語を話す身でテーマは社会的なイシュー。発話者の韓国語がうまく聞き取れない、これが本当に恐怖でした。

討論の授業では教室の机を動かして、普段は先生が立つ教卓側に司会者、そして討論者は縦2列にそれぞれ2、3人ずつ賛成、反対が向かい合って座ります。裁判ドラマのように。

討論者なら相手の発言がうまく聞き取れなくても、自分が言いたいことを言いきって逃げるという戦法が使えました。議論の流れを多少無視することになるかもしれないけれど、とにかく「わたしは異なる考えです」と切り出しておいて、自分の準備したネタを知っている韓国語でまくしたて、「以上の理由で私は死刑制度に反対します」などと締めてしまえば、少なくとも議論に参加する意志は示せます。前の人の発言をうまく受けて議論をつなげるような理想的な反論にはならないけれど、最低限議論に参加する責任は果たせるというか。

しかし司会役はそうはいきません。まとめないといけないのです。聞き取れなければまとめようもありません。議論がかみ合っているのか判断もできない恐ろしさ。こわいこわい。

聞き取れない理由は2つわかっています。1つは知らない単語がある。もう一つは発音自体聞き取れない。これです。

1つ目はひたすら私の勉強不足。その日に使われそうな単語は予習しておくのですが……言葉って無限にあるんですね。

いっそのこと全員が知らないような専門用語なら司会者として堂々と「〇〇さん、先ほどの△△△についてもうすこし具体的に説明をお願いします」のようにふる技も覚えたのですが、たいていはそんなことではありません。私が知らないのです。

漢字語なら頭の中でぐるぐる考えれば想像がつくこともあるのですが、そうではない動詞とか形容詞が本当に苦手です。こわいこわい。

ただ討論者だって先生も含めたオーディエンスがいる中での討論に多少は緊張していますし、メモを見ないで話すのが基本でしたから、みんな大抵は難しい単語や文法なんて使わずに話してくれるのは救いでした。敢えて少し難しい言葉を使うときは、それを簡単な言葉で言い換える準備までしている人を私は心の中で「天使」と呼んでいました。がんばって準備したよというアピールをしつつ、でもみんなが議論についてこられるようにちゃんと説明するという八方美人な態度が大好きでした。

2つ目は母語の干渉だと思うのですが、発音にかなり癖のある人がいつもクラスに2人はいました。人様のことを言える韓国語レベルではないのでこれは非難でも批判でもありません。私の韓国語だって誰かにとっては同じ困難を与えていたかもしれませんから。でもとにかくわからない。ごめんなさい。私が聞き取れないのです。

もうこればかりはどうしようもありませんので、同じグループにならないよう毎回心の中でお祈りしていました。

                                  つづく

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